宸殿から見た庭園は、整然とした市松模様でした。
聖護院門跡は、1090年に増誉大僧正による開基です。
増誉大僧正が白河上皇の熊野本宮参詣をご先達として案内し、
その功績によって「聖体護持」の二文字をとり、
聖護院という寺を賜ったのが始まりになります。
後白河天皇の皇子、静恵法親王の入寺により門跡寺院となり、
以後皇子の入寺が続き、明治維新まで聖護院宮とて存続しました。
聖護院は最初、この場所にありました。
応仁の乱での焼失以後も火災に見舞われ、転々としましたが、
後水尾天皇の皇子、道寛法親王の時に、今の場所に再建しました。
明治時代までは鴨川にかけて「聖護院の森」が広がり、
その中に聖護院があったため、「森御殿」とも呼ばれています。
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こちら、前を通りかかったことがあるだけで
中がこんなふうになっていたなんて知りませんでした。
市松模様のお庭が素敵ですね。
「森御殿」というのが、気に入りました^^
雲母舟さん、こんばんは!
今回は冬の特別公開で入れましたが、普段は事前に拝観予約しないと入れなく、
私も素通りがばかりでしたが、入ることができました!
おはようございます~。
普段の庭園前は市松模様に
なっているのですね。
先日の節分の時にも中に入れましたが
趣きが全然違っていました。
今しか普通に入れないので
訪れてみたいですね。
youpvさん、お早うございます。
節分の時の紫宸殿前の庭園は市松模様じゃなかったのですね。
この枯山水の庭園、とても大きいのでどのような砂紋だったのか興味があります。